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2006年11月25日 (土)

いろいろあったなぁ。その①

レッズ優勝を目前にして自分の中のサッカーとレッズの歴史を振り返ってみます。
長いですから、興味の無い方はスルーしてね。

【日本リーグ】

閑古鳥が鳴いているサッカー場で、日産所属の木村和司が日本のヒーローだったJSL(日本サッカーリーグ)時代、自分は高校生でサッカーを始めた頃でした、
その頃、講演会で地元に来てくれた釜本邦茂大先生のありがたいお話を聞かせていただきましたw
自分は釜本大先生の現役時代をよく知りませんが、過去の実績や映像を見る限り、日本サッカー史上最も優れたフォワードと言えば三浦和良じゃなくて、釜本邦茂だったと思います。今のサッカーと昔のサッカーを一概に比較できませんが、今日本代表に彼が居たら得点力不足なんていう悩みも小さかったことでしょう。

【ワールドカップ初体験】
’86年メキシコワールドカップでマラドーナが神になり、未明に生中継されるNHKのワールドカップ放送に釘付けになったのが自分のワールドカップ初体験でした。
ですから、残念ながらベッケンバウアー、クライフ、マラドーナのデビューなど、1世代前のワールドカップを自分は知りません。

【サッカー情報番組】
当時、テレビのサッカー情報番組といえば、毎週土曜日の夕方にテレビ東京系列で放送されていた「三菱ダイヤモンドサッカー」しかありませんでした。
30分番組で、イングランドリーグ(まだプレミアリーグと呼ばれる前)やドイツリーグ(ブンデスリーガと呼ばれる前)の厳選された試合をダイジェストで前半、後半を二週に渡って1試合分放送するという、貧弱な番組でした^^;
でも、サッカー情報番組が無い時代に、貴重な本場のサッカーを知る大切な情報源で、テレビ東京さんには感謝してました。
後に、Jリーグバブルや日本代表の盛り上がりで、サッカー中継が金になるとわかった途端、有力民法キー局においしい所を持っていかれちゃって、サッカー不人気時代を支えてきたテレビ東京が可愛そうになりました^^;

【トヨタカップ】
伝説の木村和司のフリーキックも虚しく、ワールドカップに出る事すら叶わない日本で、何故か、毎年トヨタカップが開催され、レナト、ジーコ、イアンラッシュ、プラティニ、フリット、ファンバステン、ライカールトなど世界の超一流選手の試合を生中継で見ることはできました。
その恩恵として、トップレベルのサッカーがどういうものか比較的日本人は知っているし、素直に他国のサッカーを受け入れる資質が備わっている気がします。
ワールドカップでブラジル好き、ドイツ好き、イングランド好き、と節操無く^^;他国を応援できるのも日本人らしいところではないでしょうか。。
ただ、弊害として、サッカー後進国という負い目からか、海外サッカーを迎合するきらいがあります。

少し接触しただけで倒れてファウルを貰おうとしたり、ファウルを受けて大げさに痛がって時間を稼いだりするプレースタイルは、海外サッカーの悪い手本(特に南米系の選手に多い)と自分は思うし嫌いなのですが、
それをマリーシア(ずる賢いプレー)などと、こ洒落た呼び方をして「海外じゃあたりまえ」なんていうコメントは好きになれません、

フーリガンを模倣した裸になって応援するスタイルも、どうなのよ。って思っちゃいます。
海外で当たり前だからってそれを手本としてていいのか?

もちろん、グランドに向かう時に「(相手選手も含めて)怪我が出ないように」って祈りを捧げてから入場するブラジル人選手の精神や、マンツーマンのプレーでは絶対負けないというドイツ人選手の哲学(「ツバイカンプ」と言います)や、
TV越しにでもどのスタジアムでも劇場のような素晴らしい臨場感のある雰囲気が感じられるイングランドなどなど、
学ぶべき点は多々あります。というより、技術・戦術・サッカー文化も含めて海外に学ぶ事のほうが多いのは言うまでもないですね。

話を元に戻しましょう。

【Jリーグ開幕】
自分が社会人になり上京してまもなく、、
今では考えられない、日本代表の試合なのに半分くらいしか埋まっていない国立競技場のスタンドでキリンカップを観戦し、凱旋帰国して日本リーグに復帰していた奥寺康彦率いる日本代表がヴェルダーブレーメン相手にコテンパンにされていました。
その頃、ようやく企業スポーツからプロスポーツへの脱却の動きが活発になり、
川渕三郎ら、日本サッカー協会関係者やサポート企業の尽力のおかげでいよいよ93年にJリーグが開幕するのでした。

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